〜8世紀
魏志倭人伝・日本書紀と論争の起点
邪馬台国論争のすべての源泉は、中国の歴史書『三国志』魏書東夷伝倭人条(通称「魏志倭人伝」、280年頃成立)にある。著者・陳寿が記した倭国の地理描写には、方角・距離・日数などの記述が含まれるが、その解釈が著しく困難であることが後世の論争を招いた。
(南に行けば邪馬台国に至る。女王の都とするところ。水行十日、陸行一月。)
一方、8世紀に成立した『日本書紀』(720年)は、神功皇后摂政39・40年の条に魏志を引用しつつ卑弥呼に関する記述を組み込んだ。これが邪馬台国と大和朝廷の連続性という問題を日本の史書に持ち込み、政治的・歴史的含意をはらんだ論争の土台となった。
魏志倭人伝の「南」を字義通りに取ると、九州を大きく超えて海上に出てしまうという矛盾が古来指摘されており、この「南→東誤記説」か「距離・日程の誇張説」かという解釈論が後の九州説・畿内説双方の出発点となっている。